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執筆者の写真友理香 植野

「 マナーや礼儀 」というのは、決して古くはならないと思う( 自戒を込めて )のです



最近思うのはマナーや礼儀のなさは、親の教育よりも自分の責任だとね。 親から礼儀を教えられなかったという背景があっても、マナーや礼儀のなさは親のせいにしてもダメなんだとね。 人としての最低限の礼儀すら出来ない人がいる。

例えば「 ありがとうございます 」 「 ごめんなさい 」「 ごちそうさま 」 「 いただきます 」等で、それすら言えない人がいい年の方( 60代とか70代 )だと、本当に驚くことなんですよね。 自分のミスで相手に迷惑をかけているのに…

「 ごめんなさい 」すら言えない人が、役職についていたりして。 自分が完璧なのか…と言えば違うけれど、でも常に心掛けていることなんですね。 だって礼儀や作法というのは、人間関係を円滑に進めるための潤滑油だと思うからなのです。

自分が特定の人に対してイラッとする時には、自分の考えや価値観が浮き彫りになります。 令和の時代に礼儀やマナーって必要か…と言う人がいたけれど、礼節や礼儀などは思いやる( 目に見えない形 )心があってこそなんですよね。

「礼儀」や「作法」は人が生まれながらに持ち合わせているものではなく、道徳心として成長の段階で身につけていくもの。 だけれども育ってきた背景や、自分の置かれた環境また時代によって大きく変わる。 本質を分からない人もいる。

確かに不要な業務・不要な習慣はあるけれども、本質は相手への敬意や思いやりを示すためのものです。 単に形式上に形だけで立ち振る舞ってもダメで、相手を敬う気持ちが無いと意味がないのです。 上辺だけでは、相手に見抜かれてしまう。

これからは個人の時代がやってきますから、もし人として横のつながりや信頼を保ち続けたいのであれば、挨拶は人の基本として大切なものとなります。 それほど社会人として、人として「 挨拶の与える影響力は多大 」だと覚えておいて!

マナーの【 型 】だけを熟知していても、ビジネスマナーの本質である思いやりがなければ、ビジネスマナーを習得しているとは言えないのです。 ビジネスマナーをスキルとして発揮し、状況に応じた判断や行動が出来るようにならないと!

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