自分で蒔いた種は自分で刈る:自らの言動や行動に対して、自分で責任を負うこと
ここでの『 種 』とは、作物が種から始まって、芽が出て ~ 葉が育ち ~ 実をつけるという流れのようおに、物事の始まりやきっかけ、又は原因を意味します。 自分できっかけを作って招いた悪い事態のこと、そのきっかけが『 自分で蒔いた種 』ということになります。
またお釈迦様は「 まかぬ種は生えない、まいた種は必ずはえる。 刈り取らねばならない。 すべては自分のまいたものばかり 」と教えられています。 つまり自分の発言や行動の結果を、いずれは何らかの形で受け取らなくてはいけない…ということですね。
業( 人の行為を意味する )が深ければ、必ずや何らかの結果を招き、結果によっては、それが次なる行為へと影響していきます。 自分の行為が子や孫にまで、強く影響を受ける( 受ける報い )のです。 その逆は「 徳の貯金は、孫の代まで守られる 」ですね。
これを「 一代の積徳( せきとく )は、三代をうるおす 」という諺があるのですが、おじいさん・おばあさんの積んだ徳の高い行いは、孫・ひ孫の代までを繁栄させてくれる…という意味になります。 損得勘定がない…というのが大切なポイントなんですよ。
もしご自身が受け取らなければ、「 親の因果が子に報う 」 「 親の罰は子に当たる 」とも言いますね。 「 親の悪い行い 」が、子供に悪い影響を及ぼすことを意味します。 親がした悪いことが、罪のない子供にまで影響を与えるという警告の意味でもあります。
そもそも「 善いことも悪いことも、自分( 彼らの ) の運命に起こる事の全ては、自らが蒔いた種が生み出したものであり、必ず時を経てから、自分( 彼ら ) 自身が喜ぶ・苦しむことになる… 」 が基本ルールで、これは全ての人に当てはまるルールです。
なので自分が過去に蒔いた種が、実になってトラブルになった時に焦るのです。 だって育ってきた時間がある、つまり “ 時間差がある ” ということを忘れているから。 自分が想像をしていない時に、自分の身にトラブルが起きて戸惑ってしまうのですね。
その逆で自分の行い( 業 )が良ければ、【 孫にまで徳の報いがある 】というワケ。 つまりお釈迦様が良く仰っていた、因果応報:自分の行い( 業 )つまり原因に応じた結果が報いる、また自業自得:自分の行い( 業 )の結果を自分が受けとるのですからね。
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