セラピストとして、自分の技術の更新のために、様々なセミナーや新しい技法の講座を受けてきました。 個人名を出して被害者を少なくしたい…と思うほど、生徒に対する態度であったり、また授業内容がひどくて驚くような先生もいらっしゃいましたねぇ。
他の生徒のことばかりを褒めてばかり、またお気に入りの生徒と比較されたら気持ち良いものではありません。 先生方は気にしていないようでしたが、生徒の立場からしたら… やんわりとお願いしても変わらなかったので、これ以上は無理とその学びを手放しました。
また他の技法で学んだ時には、生徒のことを陥れたり・利用をしたり、また悪意ある刷り込みをするような方もいました。 尊敬や敬意を感じられないし、感謝や尊敬の気持ちにはなれませんよね。 もし仮に相手が謝ってきても、無理に和解をする必要はありません。
先方から連絡がきても、決して会うことはないですね。 複数の欧米の技法を学んできましたが、先生方は必ず何があっても「 許しなさい 」と教えてました。 キリスト教の教えの中に「 Forgiveness:許しなさい 」があるからで、私は違和感を感じています。
キリスト教を学んだとしても、そこに関しては違うと考えていて、「 傷ついたことは事実で変えようがないのだから、自分だけでも“ 許せない ” と思ってもいい! 」と思っています。 私は反面教師として学べたので、それ以上の気持ちは全くありません。
ですから「 相手を恨み憎んで、自分が苦しみ続ける 」必要はなく、「 怒りの感情 」というのを抱えない方がいいのです。 これは自分自身の心を攻撃してしまうので、自分のためにも、極力抱かないほうが良いですね。 むしろあなたの心のケアに集中して欲しい。
ぶっちゃけなお話ですが、恨み憎むような相手のことを、「 自分の世界にはもういないもの 」くらいに思って、自分は自分の機嫌を取り幸せに生きていたほうがいいのです。 いつまでも恨み続け、悶々と過ごしているほうが、はっきり言って時間の無駄ですよね。
もしあなたが “ そんな生活 ”を過ごしているならば、それこそ相手の思うツボ…だと思いませんか? 限りある人生の時間を恨むことに費やしているのは、とーっても無駄なことで、時間がもったいないですよ。 私も経験してきたから、断言できることです。
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